利害をともなう賭け 2


グー、チョキ、バーのいずれを選んでだすかは、偶然と直感の支配するものであって、したがってこれは広い意味での賭けの一例というべきでしょう。


またこのごろではかなりすたれてしまいましたが、サイコロを振ってすごろくを楽しむというのも、サイコロという偶然的要素の強い媒介物が存在している以上、賭けの要素を多く含んでいます。


百人一首をかさねて遊ぶ「坊主めくり」についてもおなじことがいえます。


また、学校や職場で当番を決めたりするときに「あみだくじ」をつかうというのも、あきらかに賭けです。


・・・しかし、こうした賭けは刑法の上でいう「賭博」ではありません。


いったいどこがちがうのでしょうか?


・・・答えは単純であって、要するにそうした賭けに金品の授受がともなうか否かが境界線になるのです。


目頭が熱くなる映画

『ポルノグラフィックな関係』という映画。


プロジェクター レンタルして観た。


どこかでジーンと目頭が熱くなるのが映画だと思っている。


だからといってわざとらしいお涙ちょうだいものは苦手。


だって涙腺の弱い私はそんなものにだって大泣きするに決まっている。


そんなときはどうしようもなく後味が悪いものだ。


1948年生まれのナタリー・バイ。


少しも派手じゃなく感じが良く、身体の線が美しい。


背中のライン、ウエスト、羨ましいほどに贅肉がない。


それに比べて私ったら、ああ、水泳に通わなきゃ、美容体操くらいやらなきゃねえ。

利害をともなう賭け


日本文化のなかに強く根づいていますが、ある種の直感力と勇気によってイチかバチか「当たってくだけろ」という精神・・・


これは、こんにちのビジネス社会のなかでも健在なのです。


・・・とすれば、パチンコにかぎらず偶然というものになにかを期待する賭けの精神がわたしたちの精神のなかに力強くなみうっていることを、はっきりとここで確認しておく必要もあろうかとおもわれます。


・・・さて、わたしはこれまで、賭博、賭け、ゲームといったようなことばを、漫然と使用してきました。


しかし、賭けはかならずしも厳密な意味での「賭博」を意味するものではありません。


たとえば、子どもたちがジャンケンで順番を決めるといった風景はいたるところでみうけられます。

子どもたちのために! 6

今北さんは、そのころから、人間のつながり、人の心のありがたさをつくづく感じるようになったという。

人が困っていたり、つらい思いをしたりしているとき、黙っていられなくてかけずりまわり、助けようとしてくれた人たちは、けっして学歴が高い人でも金持ちでもなかった。

むしろ、弱い人間、社会的には低くみられている人間であった――と。

そのころを振り返って、今北さんは目を潤ませる。

去年の冬、ぼくは仙台の今北さんの塾を訪ねた。

スタッフは今北さん一人だが(奥さんがときどきピンチヒッターに出るとのこと)、十数人の高校生がアシスタントとして教室にいた。

どの高校生もういういしく、いい顔をしている。

塾生たちも、今北さんや高校生たちといることが、なんとはなしに楽しそうで、どの顔もほころんでいた。

あとでわかったことだが、それもそのはず、そこにいた高校生の何人かは、例のDクラスのもと生徒たちであった。


さぞかし、雰囲気のいい塾なんでしょうね。卒業生がアシスタントをやっている塾というのはよくあるらしいですが。

子どもたちのために! 5

今北さんともう一度勉強したい、という子たちであったが、その子たちの弟や妹、それに、Dクラスの子たちがロコミで集めてくれた生徒たちで、塾生は十数人になった。

しかし、それでも親子三人が生活できるまでにはいたらなかった。

塾生の父母はそのことを知っていて、お米や野菜、卵などを差し入れてくれたり、中華ソバ屋の主人が無料の出前をしてくれたりした。

以前、板前の見習いをしていた店の主人は、たびたび電話をかけてきては、「ちょっと来ないか」と今北さん親子をよびつけた。

腹一杯食べさせようとしてのことだった。

こうした人の情に、妻は赤子を抱きながら、今北さんははしを持ったまま、湯気の立つなべやどんぶりをまえにして、何度も泣いた。

塾生やその親たちは、一人、また一人と生徒を引っぱってきてくれた。

やがて、そのなかの一人の親から、「わたしの親戚のところが空いてるからいらっしゃい」と、むりやり塾の教室を移させられた。

場所は市の中央であったが、家賃は相場の半額以下であった。

以前いた塾の生徒達に助けられるなんて、人生は何があるかわかりませんね。

子どもたちのために! 4

考え方や見つめる方向がちがうことをはっきり知った彼は、進学塾を飛びだし、また一人になった。

いや、そうではない。

当時はすでに妻と生活をともにしており、半年まえに生まれたばかりの赤ん坊を抱える身であった。

妻は、ひとことも愚痴めいたことを言わなかったが、無一文の生活は彼をあわてさせた。

そんなとき妻の祖母にあたる人が「仕事は自分の思うとおりにするのがいちばん」といって、貯えの十万円をポンと出してくれた。

地獄に仏――今北さんはそれを元手に市のはずれに小さなアパートを借り、そこで塾のスタートをきった。

「寺子屋・北そう舎」―塾の名まえは決まったが、塾生は集まってこなかった。

彼は近所や商店を訪ね歩き、手書きのチラシをつくっては、それを一人ひとり手わたしつづけた。

やがて、そのことを聞きつけて何人かの生徒が集まった。

例の進学塾にかよっていたDクラスの子どもたちである。


自分で塾を開くにはこうやって地道にチラシを作ってまく事から始まってくるんですね。

古代の魔術と占い


タイやビルマでは、右手に聞くキツツキは吉、左は凶としています。


古代カレドニア人・ギリシア人・ローマ人たちは、この右・左の尊卑観念にひどく固執していたようです。


そしてその旧習が、なお現在にいたるまで永く尾をひいて来ています。


・・・たとえば、握手は右手ですることになっています。


そうするのが礼儀上正しいのだと人は言いますが、むかしはそれは礼儀の問題というよりは、むしろ右手を吉とする魔術的な意味と、もう一つ・・・


右手は武器をもつ手であり、力の表象でもあるから、敵にこちらの力を握らせて親善の意を尽す魔術的意味から来た風習でした。


こういうことに興味がある方は、電話占いのランキングも見てね。


自分の家をつくる3

しかし、大工の心得のない人たちが、廃材を集めたりして丸ごと一軒の家まで建ててしまうとは、しかも、そういう冒険野郎が全国各地にいるとは、実のところ驚きであった。

「ウッディ・ライフ第六号」に載った等々力さんの家は、その中で格段に引き付けるものがあった。

建て方のきまりきった工法や丸太積みのルールといった常識にまったくこだわらないつくり方だったからである。

私たちの遠い祖先たちは、ソファー ベッドなどはもとより、自分のすみかは自分の手でつくっていた。

他人の助けを借りられない場合は、自ら、建て方を工夫しなければならなかったはずである。

だから、住まいはみんな個性的な姿をしていたにちがいない。

そうした建築の原点にちかいものが、この家にはあるのではないか。

自分の目でそれを確かめたかった。

五月初旬のある日、私はカメラと交換レンズに三脚、そしてテープレコーダーを携えて汽車に乗った。

自分の家をつくる2

「生来、せっかちなたちだが、年月をかけてじっくりやるつもりである。

その内壁にはこども達から記念に贈られた<面>をはめこむ。

ベッド 通販のほかその室内の調度は自分で作る。

女房にも諒解ずみである」

実際、この宣言はまもなく実現した。

まったくの素人が一人でとりくんだその家は、その年の秋に立派に完成したのである。

私が、写真でこの家を見たのは『別冊・山と渓谷』の「ウッディ・ライフ」である。

手づくり志向、山や森や湖での自然生活へのあこがれ、本物の木への郷愁など、いまの若者がいだくそうした夢に答えて、いま流行のログ・ハウス(丸太組みの家)づくりや、素人の手づくりの家などを紹介した雑誌(年二回刊)である。

徐々にではあるが、昔のような自給自足のくらしへの関心が高まっている。

だから、畑をつくり、ミソやトウフをつくり、ペンキを塗りなおし、いすや本だなをつくる程度ならうなずける。

自分の家をつくる1

昭和五五年三月、長野県大町市に住む小学校教師、等々力美貞先生は、三六年半にわたる教員生活にわかれをつげた。

五七歳。

定年を一年残しての退職だった。

どうしてもやりたいことがあったからである。

肉体がおとろえたらこの仕事はむずかしくなる、それまでの履歴と、今後の生活設計などをタイプ印刷して、友人、知人に配布した小冊子の中に、先生は、「これからやりたいこと」の一つを、次のように書いた。

ソファー 通販などにもこだわった自分の家をつくってみたい。

昨年の秋、東電の作業所で要らなくなった電柱を一〇〇本買った。

その中の半数を半丸太に製材してもらって計一五〇本、運搬費を含めて三〇万円也。

これを使って人気のない山の中に丸太小屋を作る。

ある友人にこのことを話したら、<お前はついに社会復帰できないまま死んでしまう>と言われた。

それも判らないではないが、どうしてもやる。」